この闘いは、看護師 寶田都子個人の事案ではありますが、ご自分の近しい方々にも、いつ何時起きるかもしれない出来事であると捉えていただければと思います。
「誰もが、自分の命や健康、そして尊厳を脅かされることがなく、生き生きと働ける社会を目指す」この思いを共有していただければ幸いです。
至急!裁判支援への署名・カンパをお願いいたします。
>署名用紙などはこちらの「支援」のページにあります
最新情報
裁判へのご支援を心から訴えます… 寳田都子
私は30年余りの間、結婚・出産・育児、6年に亘った父の介護等人生に起きる出来事と向き合いながら、看護師として働いてきました。定年後は、介護経験とケアマネジャー資格を生かし、ご高齢の方とご家族に寄り添う職に就きたいと考えていた時期に、100床を有する介護老人保健施設を持つ医療法人から度重なる要請を受け、2012年1月、看護師長として転職をしました。
ところが、入った職場は大変なブラック職場でした。看護主任が置かれていない状態での広範かつ膨大な業務、わずか1年2か月足らずの間に15名の看護師・准看護師のうち13名が退職し12名を新規に採用するという看護師不足と退職の悪循環の中で、私は膨大な業務をこなすための極限的な長時間労働(私たちが時間外労働時間を計算したところ入社から14か月連続で月100時間を超えていたことがわかりました。)、休日・勤務時間外に昼夜を問わず携帯電話に業務連絡が入り24時間心身共に休まらない過重な精神的緊張を余儀なくされ、さらに、95名以上の入所者確保という厳しいノルマの追及、理事長による日常的なパワハラと職場での孤立化も行われました。
そして、極めつけは、2012年12月、施設の幹部会議の席上で理事長から、95名の入所者を確保するノルマが達成できないのは私のせいだとして激しい叱責と罵倒を受け、さらに2013年3月に実質的な解雇通告を受けたことから、長年築き上げてきた職業人としての誇りも信念も完全に折れ、精神疾患を発病してしまいました。
私は休職しながら、同年11月、高松労働基準監督署に労災申請をしましたが、担当の調査官から「生きているのに労災申請するのか。図々しい。」等のパワハラを受けたうえ、申請から16か月後に不支給決定処分を受け、その後の審査請求・再審査請求も棄却されました。
私にとっては本当に辛いどん底の状況でしたが、力を振り絞って行政訴訟を起こしました。そして、医療に長年従事してきた者として今後同じ道を行く人たちの為に、また医療・介護を必要とする方々の為に声を上げていく事をやめてはいけない、私に起きた事をなおざりにしてはいけないという思いで今日まで頑張ってまいりました。
訴訟になってから、私を支援してくださる会ができ、またマスコミなどでも取り上げられるようになり、大きく励まされています。
裁判はこれから山場を迎えます。この裁判で私のうつ病の発症が労働災害と認められることは、医療現場の過酷な状況を改善していくことにも繋がると確信しています。